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2016年5月4日水曜日

夏目漱石とグレングールド、安部公房について

3人ともとても鋭敏な感性を持ち、かつ自我の発現を極限まで突き詰めた。突き詰めると、様式が生まれ固定化する。その固定化に猛烈に反発する内的衝動を私小説の様式で発現し続けたのが夏目漱石である。漱石自身の発露を焼き付けた作品に読み手が触れると、苦悩の過程そのものを交感することができる。グレングールドが漱石に魅せられたのは、自我の感覚領域の完全性を求める過程で、共通する内的衝動を交感したのではないか。そのグールドが、安部公房の砂の女を百何十回も観たという。漱石も公房も自我の発現をとことんまで突き詰めていく動機の段階では同じである。異なるのは、自我の発現が貫徹され、その過程をありのまま私小説として示す漱石に対して、公房が自我の発現の過程を一切見せず、一気に他者化して交感を許さない点である。この他者化こそが公房の強さであり、グールドは憧憬を抱いたのではないだろうか。

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